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事業の始まり

100年以上の歴史を持つニチモウは、日々激しく変化する環境の中、
柔軟にビジネスモデルを変化させ、数々の困難を乗り越えてきました。
ここでは、今のニチモウの柱である4事業の始まりを紹介します。

1910

Beginning

ニチモウの始まり

本場英国にてトロール漁法を学んだ林田甚八と岩本千代馬が高津英馬の出資を得て、トロール漁と網の仕立てを行う高津商店漁業部を山口県下関市で発足しました。

1919

Marine Business

海洋事業

トロール漁法のブームが終焉を迎えたことに伴い、高津商店漁業部は解散。製網部門のみを残し、高津商店製網部として製網事業に徹することとなりました。1920年6月に日本漁網船具株式会社へ商号変更。製網だけでなく船具類の供給も本格的にスタートし、漁業における総合コンサルティングを強みとする海洋事業の始まりとなりました。

その後、当時、世界的に類例のない規模と機能性を有した実験水槽を山口県下関に建設。実験水槽を用いることで得られる顧客からの信頼や生み出される数々の新製品は、現在も変わらずニチモウの強みとなっています。

1980年にアメリカから銀鮭の発眼卵を買い付け、宮城県の養殖場で孵化させたことが養殖事業の始まりとなります。1985年には宮城県雄勝町に雄勝養殖事業所を開設、銀鮭養殖が本格化しました。40年以上の養殖ノウハウを持ち、現在でも陸上養殖という新たな挑戦を続けています。

1961

Machinery Business

機械事業

それまで漁網・漁具を提供していた大手水産会社の総合食品会社への転換に伴い、設備機械を受注し、原料処理から箱詰めまでの一貫した生産ラインを手掛けることに。これが機械事業の始まりとなります。

1973年には新規戦略のスタートとして中華成形機メーカーと総代理店契約を締結しました。当時、冷凍食品の定番であった餃子・シュウマイ・春巻き・ミートボールの成形機販売を軸に約600社に売り込み、現在でも中華総菜関連機械は機械事業の主力商材となっています。

その後、建設業の認可を獲得したことで、工場建設の一括請負など総合設備事業としての体制を整えます。建設ではなく食品の製造プラントを作るという観点から、顧客の要望に沿った提案を行えることが事業成長の鍵となりました。

1961

Materials Business

資材事業

機械事業と時を同じくして大手水産会社の加工工場に資材が採用されたことが契機となり、食品包装分野に進出するとともに、耐水段ボールを開発し多くの漁船に採用されました。

漁業に限らない別分野の商材開拓を進める中で、フィルムメーカー、印刷会社と当社で共同開発した印刷用塩化ビニルシートがスピーカーやテレビなどに採用され爆発的な需要につながりました。これを機にフィルムメーカーと印刷会社をつなぐ商社としての役割を強め、現在の資材事業の先駆けとなりました。

その後、コンビニエンスストアの弁当容器向けポリプロピレンフィラーシートの販売を開始。これをきっかけにコンビニ向けの床用洗剤やマスクなどの衛生資材と、資材事業としての商材の幅を広げていきます。1979年には農業分野進出の足がかりとして有機質の土壌改良材「コフナ®」の取り扱いを開始し現在にまで至ります。

1967

Food Business

食品事業

当時、利用価値の低かったスケソウダラのすり身がかまぼこやちくわの原料として一躍脚光を浴びました。これに伴い、新技術と量産体制をもとに、大手水産会社の特約店として本格的に冷凍すり身を販売開始。これが食品事業のルーツとなります。1970年代にはすり身に次ぐ商材としてカニ、凍魚の取扱いを開始し商材の幅を広げていきます。

その後、原料販売を行っていた明太子を「はねうお」ブランドとして製造も手掛けるようになり、加工食品分野に進出しました。

1992年には海外漁船に乗り込み冷凍生ズワイガニの生産工程およびその指導法を確立。技術員が乗船し、身入り、色、サイズ、鮮度管理などの乗船指導を実施し、これが他社との差別化につながり食品事業としての成功を収めます。現在は、乗船指導により積み上げてきたノウハウを活かし、北海道にカニとすり身の生産拠点を新たに設けることでメーカー機能の強化に注力しています。

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